急いで死ぬ
急いで死ぬ。あらゆるものが遠く、そして急速に遠ざかっているように見える。わたしから見るとこの世のすべての物事が赤方偏移z=12ぐらいの遥か遠方にある気がします。肉体を構成する素粒子たちのそれぞれの間にすら100億光年の希薄な空間が広がっているのではないでしょうか。
あまり具合がよくありません。公私ともにやることなすことうまくいっていないからでしょう。しかし生活するには仕事をするほかにありません。幸いにしてこの会社はわたしのような無能者にもある程度のお給料を出してくれるわが国の伝統的な企業ですので、ありがたくお仕事させていただくことが生命存続のための短期的に最も簡易な方法です。
しかしながら今日は東京で過ごす理由として残されていた物事──それらもまた、幻影であったわけですが──のいくつかを失った日でした。中央高地に帰ったり、あるいは中央高地ではなくともどこか巨大な自然に囲まれた土地に拠点を移してもいいのかもしれません。そういう人生なのかもしれないですね。わたしは人間としては不出来で、わたしなりに様々な問題を抱えていますが、自然はそういうものを忘れさせてくれます。わたしが存在しなくなっても自然がわたしの寿命よりももっとずっと長いスケールの時間にわたって継続するであろうことは、この真っ暗な海に浮かぶ安寧の島のように感じられます。こういうのって主観からの、すなわち無限に悲しみを生み出す器官である脳からの逃避なんでしょうか。人間との関わりの中でうまくやっていくことばかりが人生ではないと分かってはいますが、そのようにやっていくことに心地良さを感じるのが生物としてのデフォルト設定なので、失敗ばかりだと受け入れ難いですね。わたしにとっては人間関係は低レイヤの楽しみであり、一方で同じく低レイヤの苦しみでもあります。加減が難しすぎるんですよね。高度7万フィートを飛行する偵察機のスロットルかもしれない。
加減が難しいとは言ったものの、実は全く分かっていないわけではないのです。わたしはおそらく人数や空間規模が家庭のサイズを超える人間関係の中ではうまく振る舞えません。10人も参加する飲み会では例え一つのテーブルに4人ぐらいだったとしても、周囲の喧騒が加わると気が散ってしまってろくに話ができません。静かな場所で2, 3人で飲んでいるときが一番うまくやっていられると思います。わたしにとってはこの世の人の流れや時の流れは速すぎます。写真や映像の手法で雑踏の中に被写体の人物を静止させてシャッター速度を遅くすると周囲の歩いている人が流れて写るやつがありますが、感覚的にはそんな感じです。長く一緒にいるごく少数の人とものすごい時間をかけて仲良くなるのがわたしが生まれ持ったスタイルで、学生のうちはこれでよかったのですが、職場では仕事以外の話をろくにしませんし、音楽の集まりは週に1度あるかないかですし、とにかく就職して人と接する時間が増えたようで実は一人あたりと接する時間は激減していますから、人間関係がいい感じに育っていかないのは当然かもしれません。悪い意味での孤独はこんな異常ともいえる量の人間が暮らしている土地でも容易に起こり得るのだということがよくわかります。
「ダンマパダ」には「思慮深く、聡明な人を道連れにできないならば、国を捨てた国王のように、林の中の象のように、独り歩め。」「愚かなものを道連れとせず、独りで歩いた方がよい。悪をなさず、欲も少なく、林の中の象のように歩め。」といった言葉が出てきますが、よい人を見つけようともせずにこれを座右の銘のようにしてしまうのはどうかと思いつつ、しかし人それぞれに異なる賢者がいるでしょうし、そういう存在は自然に出会うものなのではという気もします。学生時代は東京よりずっと厳しい気候の土地で日々暮らすことに精一杯で、お金もほとんどなく、他者との関わり以前に自分自身についての問題で精神的に滅入っていることが多かったので、そもそも欲が生活の中に入り込む余地がなかったのかもしれません。それが就職したことで、いくらか精神的にも経済的にも落ち着いて、あれもほしいこれもほしいという気持ちが出てきてしまった。その中で人間関係を求めるようになってしまったのかもしれないですね。それに就職してからはぐにゃぐにゃした人と会うこともすっかりなくなってしまいました。みんなが朝は6時に起きて、9時には出社して、8時まで残業をして、成果をあげ、友人に囲まれ、恋人をつくり、結婚し、子をなし、昇進し、家を建て、といった普通の人たちです。そういう普通を延々と見せつけられると、やはりそうしないといけない気がしてきてしまいます。でもその普通にわたしが向いていないことはこれまでの傾向から明らかで、飲み込まれてしまえば自分を自分自身から不可視化するようなものではないかと思います。成長して普通の人間らしくなってきたのかもしれませんが、かといって急に自分のスタイルでないことを無理にすれば心身を壊してしまいますから、あまり普通にこだわらず自然にしていたほうがいいのではないでしょうか。
人生について考えることは重要ですが、それ以外について考えることもまた大切なことです。しかし何について考えましょうか。いろいろとコンテンツに触れてはいるつもりなのですが、どれも自分の血肉になる前に脳からこぼれ落ちてしまっているような気がします。最近は職場への行き帰りの電車でよく線形代数の教科書を読んでいます。この時間で目先のIT技術のことを勉強したり、音楽の集まりの事務仕事や読譜をしたほうが多分社会的承認は得られるのでしょうが、脳がそういう感じにならず、社会的責務に対してはかなり投げやりになってしまっています。線形代数のことはもう本当に覚えていなくて、というよりも大学にいた頃に全然真面目に取り組めなかったため、1ページめくるごとに知らないことが書いてありとてもおもしろいです。しかし電車で読んでいるだけでノートをあまり書かないので、演習問題ができていないし、そもそも各種定理も覚えられません。その場でおもしろいな〜と思って、先に進んでは忘れるという状況です。インプットばかりで覚えられないというのは最近の本当に深刻な悩みのひとつで、職場でもかなり困っています。会議にはたくさん出席しているけど、内容をちっとも覚えられないんですよね。技術記事を読んだりもしますが、結局手を動かさないので身につきません。情報が脳を素通りしていくばかりで、どうしたらよいのでしょうか。リチャード・ファインマンは「自分で作れないのならその物事を理解したとは言えない」ということを言ったらしく、わたしもまたそのように思うのですが、あまり脳の性能がよくない人が社会でうまくやっていくにはそんなことを気にしていては何も進まないのではないかとも思います。誰もAIについて理解していなくても、理解する気がなくても、AI活用推進プロジェクトは進めないといけません。しかしその先に何が残るのでしょうか。
違うんです。そんなことを話したいのではありません。もっと面白いことを話しませんか。面白いこと、なんでしょうか。「mono」の敷島桜子さんがかわいくて好き、みたいなことでしょうか。敷島桜子さん役の俳優さんって久川凪さんですよね?違う?そうですか....あっ、霧山アンさんは神崎蘭子さんじゃないですか?違う。そうですか....「LAZARUS ラザロ」のクリスティンがかっこよくて好き、みたいなのはどうでしょうか。睡姦パーティー(下品な表現、失礼いたします)に巻き込まれそうになったときにもカスが効かねぇんだよ!つって(そうは言っていない)セクシーなドレスを着て走りながら銃を撃っているところとかいいですよね。あとは「青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない」で最後に牧之原さんが出てきて号泣してしまった(なぜならわたしは牧之原翔子さんが大好きなので)、みたいなのも面白いの範疇でしょうか。麻衣さんと大喧嘩になる内容の写真が送られてきて大喧嘩になる回、見たすぎます。それから「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」のハロとコンチが可愛すぎるのは多分面白いの部類に入ると思います。ギレン総帥が瞬殺されたのは、ワロタ。水星の魔女のときもそうなんですが、ガンダム、ぜんぜん詳しくなくて、見ていて楽しいことは事実なんですが、結局どのへんが楽しいのかいまいちよくわからないまま見ています。メカや戦闘がかっこいいとか、ドゥー・ムラサメさんがかわいいとかは分かるんですけど、コンサートに行って自分の趣味じゃないけどいい曲を聞いたときみたいな感じなんですよね。純粋に物語としてよくできているみたいなことなんでしょうか。これがエヴァンゲリオンだとシンジ君に対する感情移入があってウワーッとなるとかそういう具体的な話ができるのですが。
面白い映画の話もしましょうか。2本立て続けにアマプラで見まして、ひとつが「オデッセイ」という火星に取り残された宇宙飛行士ががんばって生きていくというものです。探査車のローバーくんがめちゃくちゃ頼りになって本当にかわいいので本当に見てください。別にローバーくんは喋ったりするわけではないのですが... あと砂中から発掘されるマーズ・パスファインダーくんの活躍も見事です。もう一本は「オブリビオン」です。こちらは地球外から侵略をうけて月を破壊された際の地殻変動と核兵器の影響で壊滅状態の地球で敵の残党と戦いつつ機材のメンテをする主人公が真実に迫っていく感じのやつです。これはかわいいドローンくんが出てきます。ちょっと分かり合えない感じするけどいざというときには駆けつけてくれる心強いAIが載ったドローンでキュートすぎ!と最初は思うのですが.... ちなみにどちらの映画も哲学的な教訓みたいな要素は薄めなのでSFにそういうのを求めている人には微妙かもしれません。わたしがかわいいメカに気を取られて話をちゃんと聞いていないだけかもしれませんが....
おいしいお酒の話もしておきましょうね。先日1000億年ぶりにバーに行きました。東京は新橋のBar Cellaというお店です。ネットで見ると「ケラ」と書いてあったり「セラ」と書いてあったりして、どっちなのだよと思います。今度行く方はどちらなのかバーテンダーさんに聞いて確かめてきてください。カウンター席だけで照明は暗くとても落ち着いたお店でした。わたしは暗く静かな場所が大好きです。今回飲んだものは、ディングル シングルモルト、ブッシュミルズ10年、リンドーズ MCDXCIV、宮城峡という4つのウイスキーです。ディングルとリンドーズは初めてでしたが、おいしいもののそんなには刺さりませんでした。ブッシュミルズは本当におすすめのアイリッシュウイスキーで、同行した理学のお兄さんが「クリーム入ってる?」と言ったぐらいやさしいウイスキーです。初めて飲んだのは長野県松本市にあるBar 5cm/sec (ごせんち)というお店(店名と新海誠の名作とは無関係)だったのですが、そこで大好きになってしまいました。宮城峡はですね、ブリテンとアイルランドから帰国しようと思って注文しました。わたしにとって、これまた穏やかでとても安心できるウイスキーのひとつです。結局閉店までお店にいてだいぶ遅くに家へ帰りましたが、よいお酒を楽しく飲んだときは翌日に響かないという経験則が久しぶりに補強されました。
さてどうやら夏が来たようです。今のうちにヒトが培養されている温室を強火で加熱することで40億℃にもなる本当の夏に向けて順応させていただける。ありがたいことです(即死) 今回はここまでにしておきましょう。8月の末に山に行くことになりました。いつもは列車かバスで行くので今回はめちゃめちゃ遠回りをして飛行機で行こうかなと思っています。今度はそのことをさらに250日後とかに書くのではないでしょうか。面白いこと、楽しいことを思い出したら少しだけ気分が良くなってきました。みなさんも、嫌なことの幻影を追ってしまいそうになったときは、それ以外のことも思い出してみてください。宇宙はとても広く、大気圏の底で布団にくるまっている場合ではないのです。